以後のことは、もうあまり覚えていない。
暑さと、日本の果敢なタックルででスコットランドはハンドリングのミスを重ね、フォワードが悔しさのあまりボールをたたきつけたこと。そして後半も徐々に時間が経つにつれ「まさか...勝てるんじゃないか」という雰囲気が充満してきた。しかし、そう考えだすとおかしなもので、途端に時間が過ぎるのが遅くなる。1分が5分にも、10分にも思えだした。
いらだっていたのは、選手だけではない。スコットランドから来たらしい外国人の観客も、日本人の客と議論を始めていた。今のは反則じゃ無い!みたいな内容だったが、彼らもいま目の前で起こっていることは信じられなかったのであろう。
私は日本の首脳陣や控え選手たちが陣取るすぐ近くに座っていたのだが、ふと横を見ると、フォワード担当の村田コーチが大声で指示を出していた。フォワード特に第3列の身体を張ったディフェンスなしに、この大健闘はありえなかった。村田コーチの厳しい叱咤激励は、まるでこちらまでしかられているような気がして、バテ気味だった私も大声で応援をするようになってていた。
ロスタイム。そしてレフリーの試合終了を告げるホイッスル。場内からは歓声と、そしてうなり声のようなものが聞こえた。28-24.日本が遂に、5ネイションズの強豪であるスコットランドを破った瞬間だった。
いらだっていたのは、選手だけではない。スコットランドから来たらしい外国人の観客も、日本人の客と議論を始めていた。今のは反則じゃ無い!みたいな内容だったが、彼らもいま目の前で起こっていることは信じられなかったのであろう。
私は日本の首脳陣や控え選手たちが陣取るすぐ近くに座っていたのだが、ふと横を見ると、フォワード担当の村田コーチが大声で指示を出していた。フォワード特に第3列の身体を張ったディフェンスなしに、この大健闘はありえなかった。村田コーチの厳しい叱咤激励は、まるでこちらまでしかられているような気がして、バテ気味だった私も大声で応援をするようになってていた。
ロスタイム。そしてレフリーの試合終了を告げるホイッスル。場内からは歓声と、そしてうなり声のようなものが聞こえた。28-24.日本が遂に、5ネイションズの強豪であるスコットランドを破った瞬間だった。
後でテレビを確認すると、宿沢監督は後ろから他のコーチにがっしりと抱きしめられ、それだけは無く首に腕が入って「チョークスリーパー」のような状態になり、苦しそうな顔をしていた。だがその瞬間は間違いなく監督にとっても、そして全国のラグビーファンにとっても、これまで経験したことがないような至福の瞬間であった。
その後発行された「ラグビーマガジン」では、日本ラグビーの偉大な指導者だった大西鉄之祐のインタビューが掲載されていた。内容はもう覚えていないが、大西は「宿沢は、『スコットランドには勝ちまっせ』言うとったでしょ」と言ってたのを覚えている。
...大西は奈良出身の人なのだが、自分の会話の中に登場する人物に関西弁を話させるのは、関西人がたまにやる、一種のくせのようなものだ。宿沢は関東の人だから、勝ち「まっせ」とは恐らく言わなかったはずである。
その後発行された「ラグビーマガジン」では、日本ラグビーの偉大な指導者だった大西鉄之祐のインタビューが掲載されていた。内容はもう覚えていないが、大西は「宿沢は、『スコットランドには勝ちまっせ』言うとったでしょ」と言ってたのを覚えている。
...大西は奈良出身の人なのだが、自分の会話の中に登場する人物に関西弁を話させるのは、関西人がたまにやる、一種のくせのようなものだ。宿沢は関東の人だから、勝ち「まっせ」とは恐らく言わなかったはずである。
...しかしそれはともかく、大西にとってもこの勝利は、本当に嬉しいものだったのではないだろうか。オールブラックス・ジュニアをアウェーで破り、ホームでもイングランド選抜と3-6の名勝負を演じて見せた「大西ジャパン」の、あの強さが帰ってきたのだ。しかもそれが愛弟子の宿沢によりもたらされたのだから、嬉しさもひとしおだったに違いない。(続く)
<文中敬称略>
mixi
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