2006年6月18日日曜日

【追悼・宿沢広朗氏・1】新監督

1989年、私は大学生だった。
当時のラグビー日本代表、通称「ジャパン」は、今と同じような低迷期を迎えていた。日比野弘監督が指揮を取っていたのだが、アジア大会ではライバルの韓国に敗れると、国内の試合でも敗戦が続き、「桜のジャージー」のイメージは、すっかり地に堕ちていた。

そんな時「宿沢氏が代表新監督に就任」というニュースが新聞紙上をにぎわせた。
宿沢広朗...この人は、私のような若いラグビーファンにとってはまさに「伝説の存在」であった。早稲田大学黄金時代のスクラムハーフとして活躍した宿沢氏は、卒業後住友銀行に就職して、ディーラーとして活躍。以後は潔くジャージーを脱ぎ、ラグビーの第一線からは身を引いている状態だった。

伝説の男が、遂にフィールドへ帰ってくる。
これは期待半分、不安半分と言うのが正直な心境だった。
海外勤務などの経験があり、国際ラグビーの事情には明るいにせよ、現在のラグビー界の動きに詳しくない彼が、そして大学チームでさえ指揮を取ったことの無い人が、果たして代表チームの監督なんて出来るのか?どう考えても、いきなりの監督就任は疑問符が付くものであった。

新生・宿沢ジャパンの初戦は、なんと北半球の雄・スコットランドとの対戦に決まった。その前年には、確かアイルランド学生代表にも負けていたはずの日本代表が、いきなり海外のナショナルチームとテストマッチを行って、勝てるはずが無いじゃないか...?私の不安はさらに募った。

そんなある日の朝、西武新宿駅の地下街を歩いていると、日本vsスコットランド戦のチケット、本日発売と言う張り紙がしてあった。私はなんとなく胸騒ぎを感じて、チケットを1枚だけ購入した。しかし、席種はS席。学生の身分ではまず買うことの無い、メインスタンドの特等席だ。どうせ勝つはずの無い試合、そのチケットをなぜ買ったのか、今でもよく分からない。ただ、その時は何か漠然とした「予感」を感じたのを覚えている。(続く)

<文中敬称略>
2006年06月18日07:20

mixi

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