2006年6月29日木曜日

W杯「素晴らしき」ベスト8(改)

たまには、ワールドカップの話題もきちんと書いておこう。
熱戦が繰り広げられているW杯ドイツ大会も、いよいよベスト8が出揃った。
というわけで、今回勝ちあがった晴れの8カ国は以下の通り。

強敵スウェーデンを難なく撃破した開催国・ドイツ。
北中米の雄・メキシコとの延長接戦を制したアルゼンチン。
豪州の攻めを伝統の守りで封じ、劇的なPK勝利のイタリア。
スイスとの神経戦を凌ぎ、PK戦で辛くも残ったウクライナ。
予想通りぐんぐんと調子を上げて来た前回優勝国・ブラジル。
「無敵艦隊」スペインに逆転勝ちを収めたフランス。
伏兵エクアドルに苦戦も、ベッカムのPKで辛勝のイングランド。
大荒れのオランダ戦を制したタレント軍団・ポルトガル。

とまぁ、こんなところだ。

報道にもあるとおり、8か国中6カ国が過去の優勝経験国と、ここまでは強豪が順当に勝ちあがってきた。
もしフランスが1位で通過していれば、スペインも勝ちあがってきた可能性が高かったので、そこだけが誤算といえば誤算と言える。

しかし、アルゼンチンやフランスといった強豪が1次リーグで敗退し、トルコや韓国といったダークホースがベスト4まで残った日韓大会を思うと、伝統国や強豪がキッチリ勝ち上がって、ベスト8で雌雄を決する展開になったのは、非常に喜ばしい。日韓大会で感じた不満やストレスが、今回は無いのだ。

そうやって考えると、やはりワールドカップというものは欧州で開催するのが、本来の「あるべき」姿なのかな、と思ってしまう。特に今回は、サッカー大国・ドイツでの開催と言う事で、スタジアムでの試合の雰囲気もたいへん素晴らしい。これは、日韓大会ではあまり感じられなかったものだ。そういう意味では、まさに本寸法のW杯である。これは、1990年のイタリア大会以来のものだと感じる。1998年のフランス大会も、まぁまぁ良かったけれど...

そりゃアジアや北米、アフリカなどで開催するのも良いけれど、このいい雰囲気だけは今後何十年かかっても醸し出すことは無理だろう。そしてトーナメントの上位に進出するのは、やはり欧州と南米の強豪がメインであった方が、面白いことは間違いない。

一方、98年フランス大会のクロアチア、そして2002年のトルコと、ダークホースが3位に食い込んでいるのも近年のワールドカップの特徴だ。もし、今大会でもこの傾向が続くと仮定するならば、今回は旧ソ連のウクライナが、これにあてはまる資格がある。しかし、一方では、

「3位決定戦に出場した国のどちらかが次回大会の本大会出場を逃す」

というジンクスが継続している。86年メキシコ大会の3位フランス、90年イタリア大会の4位イングランド、94年アメリカ大会の3位スウェーデン、98年フランス大会の4位オランダ、そして日韓大会の3位トルコ...である。強豪国も含まれているだけに、このジンクスはけっこう強力だが、さてどうなるか。順番から行けば、今回は4位の食い込む国の番だ。

いずれにしても、大会は3位決定戦も含めて残り8試合。まだまだ、存分に楽しませてもらえる事だろう。
 
2006年06月29日14:12

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2006年6月25日日曜日

Sweet Sixteen

32カ国で始まったワールドカップも、いよいよ16カ国によるノックアウトステージ、決勝トーナメントが始まった。日本流に言うと「ベスト16」だ。

アメリカのスポーツでは、ベスト16のことをSweet Sixteenなどと呼ぶことがある。代表的なのは、大学バスケットボールの全国選手権、NCAAトーナメントのスウィート16であろう。ちなみにベスト8は「エリート・エイト」そしてベスト4は「ファイナル・フォー」になる。
ワールドカップだと、ベスト16が激突する決勝トーナメント1回戦は「ラウンド・オブ・シックシティーン」が一般的かもしれない。だがちょっと無骨な感じも受ける。
そうやって考えると、Sweet Sixteenってなかなか良いじゃないか。

女の子の16歳の誕生日を、伝統的にSweet Sixteenと呼び、盛大に祝う習慣がある。よく歌の題材として使われるから、ご存知の方も多いことだろう。

中でも、日本で有名なのは、ニール・セダカの「すてきな16才」だと思う。これの原曲が、Happy Birthday Sweet Sixteenだ。♪シャラララ...という軽快なポップスの名曲で、誰もが一度は聴いたことがあるのだが、日本でもカバーされていたはずである。
 
2006年06月25日07:08

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2006年6月23日金曜日

「負け犬」をなじる人々へ

ワールドカップに出場していた日本代表は、今日ブラジルに大敗を喫し、1次リーグ敗退が決定した。

サッカー協会の姿勢、監督への評価、選手起用など、この4年間いろいろ不満はあったが、アジアカップ優勝、そしてアジア予選突破といった結果を出し続け、ドイツへの切符を獲得したことは素直に評価した。そしてこの3試合、苦しんで苦しんで苦しみぬいて、最後に引導を渡されたことは、ある意味実力どおりの結果であり、今までの膿が一気に出尽くしたという事も言える。タイトロープのように危ない橋を渡ってきた我らが代表は、最後の最後で足を滑らせ、奈落へ堕ちた。

もちろん、結果は残念だ。
ただ、今は厳しい3試合を戦った、ジーコ監督や選手一同への労いの気持ちしか出てこない。どうせ今頃は、日本中で、またネット上でも、日本代表への不甲斐ない戦いぶりを「手厳しく批判」する人がごまんといるはずだ。煽るだけ煽ったメディアも、手のひら返したように「戦犯」探しを始めるはずである。

アホか。

選手たちは、実際にリングに上がった。そして敗れた。
彼らは巨額の報酬を得ているプロであり、勝てば名誉も栄光も手に入る。その代わり、負ければくそみそに叩かれる。それも確かに、彼らの人生の一部であろう。だから批判も仕方が無いかもしれない。

でも、これだけはいえる。
ノックアウトを食らった選手を「バカ野郎、なぜ負けた」と野次るヤツよりも、実際にリングに上がって戦ったヤツは100倍立派だ。彼らは実際に勝負に挑んだ。絶体絶命の仲で、逃げ出したくなるような状況の中でもリングに上がり、世界王者と戦い、そしてサンドバッグのようになって敗れた。それでも彼らは戦ったのだ。戦わずに野次っているだけの、「勝ちも負けも無い生き方」を送る人間達と、本当に価値がある生き方をしているのは、一体どちらのほうだ。

ボロクソに言うのも良い。敗因も細かく分析するのも結構だろう。だが、その前に何か、言うことがあるんじゃないだろうか。
2006年06月23日10:44
 
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M&Aの基礎

IT業界人ならおさえておきたい「M&A」の基礎


2006年6月20日火曜日

【追悼・宿沢広朗氏・4】W杯予選

こうして、一躍日本ラグビー界の救世主になった宿沢監督率いるジャパンへの期待は、だんだんとファンの間で上がって行った。1991年には第2回ワールドカップが英仏で開催されることが決まっていたが、第1回大会で全敗に終わりベスト8に残れなかったジャパンは、こんどは予選を勝ち抜いて本大会への出場枠を勝ち取らないとならなかった。

日本が出場するアジア・太平洋予選に出てくるのは、トンガ、西サモア(現サモア)のパシフィック勢に、宿敵韓国の4カ国。そのうち出場権が与えられるのは、上位2カ国のみだった。たいへん厳しい戦いになることが予想されたが、日本にとってラッキーだったのは、この予選が日本で集中開催されることだった。

宿沢監督は相手の情報収集のため、選抜チームを編成して遠征し、トンガらの感触をつかんだ。また予選の行われる1990年にはフィジー代表を招待し、秩父宮で対戦。完敗を喫したものの、仮想トンガ・サモア対策を万全につんでいた。

十分に情報収集を行い、そして対策を立てて練習で訓練を行い、試合で実行する。最終的に、相手に勝つ。
この一見当たり前の事が、日本のスポーツ界は国際舞台においてなかなか実行出来ない。だが、それをキッチリと行っていたのが宿沢ジャパンだったと思う。だからファンは期待し、会場の秩父宮へ大挙して押しかけた。そして、熱い声援を繰り広げた。私は昔を懐かしむものではないが、この頃のジャパンを思い浮かべるたびに、今でも胸が熱くなる。

1990年春、いよいよ運命のワールドカップ予選がやって来た。私は大学4年になり、就職活動も忙しかったのだが、日本の3試合分のチケットを購入し、応援へと秩父宮へ向かった。相手に不足は無い、そしてジャパンも、私の知る限り「史上最強」の充実振りだった。(続く)
2006年06月20日11:29

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2006年6月18日日曜日

【追悼・宿沢広朗氏・3】勝ちまっせ

以後のことは、もうあまり覚えていない。
暑さと、日本の果敢なタックルででスコットランドはハンドリングのミスを重ね、フォワードが悔しさのあまりボールをたたきつけたこと。そして後半も徐々に時間が経つにつれ「まさか...勝てるんじゃないか」という雰囲気が充満してきた。しかし、そう考えだすとおかしなもので、途端に時間が過ぎるのが遅くなる。1分が5分にも、10分にも思えだした。

いらだっていたのは、選手だけではない。スコットランドから来たらしい外国人の観客も、日本人の客と議論を始めていた。今のは反則じゃ無い!みたいな内容だったが、彼らもいま目の前で起こっていることは信じられなかったのであろう。

私は日本の首脳陣や控え選手たちが陣取るすぐ近くに座っていたのだが、ふと横を見ると、フォワード担当の村田コーチが大声で指示を出していた。フォワード特に第3列の身体を張ったディフェンスなしに、この大健闘はありえなかった。村田コーチの厳しい叱咤激励は、まるでこちらまでしかられているような気がして、バテ気味だった私も大声で応援をするようになってていた。

ロスタイム。そしてレフリーの試合終了を告げるホイッスル。場内からは歓声と、そしてうなり声のようなものが聞こえた。28-24.日本が遂に、5ネイションズの強豪であるスコットランドを破った瞬間だった。
後でテレビを確認すると、宿沢監督は後ろから他のコーチにがっしりと抱きしめられ、それだけは無く首に腕が入って「チョークスリーパー」のような状態になり、苦しそうな顔をしていた。だがその瞬間は間違いなく監督にとっても、そして全国のラグビーファンにとっても、これまで経験したことがないような至福の瞬間であった。

その後発行された「ラグビーマガジン」では、日本ラグビーの偉大な指導者だった大西鉄之祐のインタビューが掲載されていた。内容はもう覚えていないが、大西は「宿沢は、『スコットランドには勝ちまっせ』言うとったでしょ」と言ってたのを覚えている。

...大西は奈良出身の人なのだが、自分の会話の中に登場する人物に関西弁を話させるのは、関西人がたまにやる、一種のくせのようなものだ。宿沢は関東の人だから、勝ち「まっせ」とは恐らく言わなかったはずである。

...しかしそれはともかく、大西にとってもこの勝利は、本当に嬉しいものだったのではないだろうか。オールブラックス・ジュニアをアウェーで破り、ホームでもイングランド選抜と3-6の名勝負を演じて見せた「大西ジャパン」の、あの強さが帰ってきたのだ。しかもそれが愛弟子の宿沢によりもたらされたのだから、嬉しさもひとしおだったに違いない。(続く)

<文中敬称略>
2006年06月18日09:44

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【追悼・宿沢広朗氏・2】日本大健闘

試合当日は5月末にしては、かなり蒸し暑い日曜日の昼下がりだったと思う。実は私は、キックオフを見逃して前半数分過ぎてから入場したのを覚えている。日本のプレースキッカーを務めていたのは、サントリーに所属する山本という背の高いフルバックだった。彼がペナルティゴールを決めて、日本がリードを奪ったところで私は着席した。

この時の日本のメンバーをざっと思い出してみると
1.太田(NEC)2.藤田(日新製鋼)3.田倉(京産大)4.林、5.大八木(以上神戸製鋼)6.梶原(東芝府中)7.中島(NEC)8.ラトゥ(三洋電機)
9.堀越(早大)10.青木(大東文化大)11.吉田(明大)12.平尾(主将・神戸製鋼)13.朽木(トヨタ)14.ノフォムリ(三洋)15.山本(サントリー)だったと思う。

この初夏のような蒸し暑さが日本に幸いしたか、スコットランドはなかなか日本との得点差を詰めることが出来ない。なにしろフルバックのグラスゴーという選手がキッカーを務めていたのだが、イージーなキックをミスしまくっていた。

そのうち、日本にナイストライが生まれた。左オープンに展開すると、ボールを受けた左ウィング吉田が快走。相手ディフェンスを十分にひきつけてから絶妙のショートパントを蹴り、ボールがインゴール内に転がり込む。虚を疲れたスコットランドのバックス陣が急いで戻ろうとするのだが、吉田は快足を生かして一足早く相手ゴールにエリアに侵入し、ボールを押さえてトライを奪った。吉田は立ち上がり、同じく学生の堀越と抱き合って喜んだ。会場の雰囲気もこれで一気に盛り上がった。

2006年06月18日09:37

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【追悼・宿沢広朗氏・1】新監督

1989年、私は大学生だった。
当時のラグビー日本代表、通称「ジャパン」は、今と同じような低迷期を迎えていた。日比野弘監督が指揮を取っていたのだが、アジア大会ではライバルの韓国に敗れると、国内の試合でも敗戦が続き、「桜のジャージー」のイメージは、すっかり地に堕ちていた。

そんな時「宿沢氏が代表新監督に就任」というニュースが新聞紙上をにぎわせた。
宿沢広朗...この人は、私のような若いラグビーファンにとってはまさに「伝説の存在」であった。早稲田大学黄金時代のスクラムハーフとして活躍した宿沢氏は、卒業後住友銀行に就職して、ディーラーとして活躍。以後は潔くジャージーを脱ぎ、ラグビーの第一線からは身を引いている状態だった。

伝説の男が、遂にフィールドへ帰ってくる。
これは期待半分、不安半分と言うのが正直な心境だった。
海外勤務などの経験があり、国際ラグビーの事情には明るいにせよ、現在のラグビー界の動きに詳しくない彼が、そして大学チームでさえ指揮を取ったことの無い人が、果たして代表チームの監督なんて出来るのか?どう考えても、いきなりの監督就任は疑問符が付くものであった。

新生・宿沢ジャパンの初戦は、なんと北半球の雄・スコットランドとの対戦に決まった。その前年には、確かアイルランド学生代表にも負けていたはずの日本代表が、いきなり海外のナショナルチームとテストマッチを行って、勝てるはずが無いじゃないか...?私の不安はさらに募った。

そんなある日の朝、西武新宿駅の地下街を歩いていると、日本vsスコットランド戦のチケット、本日発売と言う張り紙がしてあった。私はなんとなく胸騒ぎを感じて、チケットを1枚だけ購入した。しかし、席種はS席。学生の身分ではまず買うことの無い、メインスタンドの特等席だ。どうせ勝つはずの無い試合、そのチケットをなぜ買ったのか、今でもよく分からない。ただ、その時は何か漠然とした「予感」を感じたのを覚えている。(続く)

<文中敬称略>
2006年06月18日07:20

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宿沢氏急死

元ラグビー日本代表監督の宿沢広朗氏が急死されました。
登山中の心筋梗塞だそうです。

あまりに突然のことで何も言えませんが、また気持ちを整理して「宿沢ジャパン」の思い出を書きたいと思います。
 
2006年06月18日04:14

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2006年6月16日金曜日

コハダか、エンガワか

今日は仕事も夕方にサクっと終わり、久しぶりに行きつけの日本料理店へ行った。 

とりあえず生ビールを飲みながらつまみを頼もうと思うと、メニューに「エンガワぽん酢」と並んで「コハダの刺身」がある。 
ミクシィで「エンガワ食べたい」コミュニティに入っている者としては、ここはやっぱりエンガワをつまむしかないか、と思ったのが、実は何をかくそう、コハダのような光りモノに目が無い。ちょっと考えたあげく、コハダを頼んだ。 

今は無き古今亭志ん朝師が亡くなった時、雑誌『笑芸人』で追悼号が発行されたのだが、そこに師の行きつけのすし屋さんのお話が出ていた。その店に志ん朝が初めて来た時、熱燗とコハダの刺身を注文した。
志ん朝は何も言わず飲んでいたが
「締めには、コハダを(寿司で)握ってもらいましょう」
と言ったらしい。
これを聞いて店主は「さすが、粋な江戸っ子だ」と感心したそうだ。 

私は江戸っ子でもなんでもないが、やはり酒を飲んでいて、美味いコハダがあると嬉しくなる。生ビールは一杯だけにしておいて、あとは日本酒に切り替えた。
今日はちょっと涼しかったので、冷酒ではなく、熱燗にしておいた。 

2006年6月14日水曜日

タレントと噺家

たとえばあなたが落語のファン、あるいはマニアならば、その代表的存在として志ん生、文楽、円生、志ん朝、小さん、談志、そして米朝といった名人たちの名前をすらすらと挙げることが出来るだろう。これらの人々はまさに昭和・平成を代表する古典落語の本格派であり、落語という芸能が続く限りずっと語り継がれていく人たちだ。 

だがあなたがそれほど落語好きではなく、興味も無ければ、こういう人たちの名前はまず出てこないに違いない。ずばり言えば落語=大喜利、または謎かけ(○○とかけて△△ととく、そのココロは...)であり、もっと言えば「笑点」であることだろう。だから「落語家」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、この40年続く国民的バラエティ番組のレギュラーたちであるに違いない。あるいは関西の人気者である三枝、文珍、そして鶴瓶ではないだろうか。 

本芸を極めるのか、あるいはタレントとして顔と名前を売るのが大切なのか。これは両方とも大事だろう。落語家である以上、落語をやるのは当たり前の話であり、ここがおろそかになっていれば話にならない。 
かといって、誰にも知られない無名の存在のままでは、これも芸人として悲しい話だ。なんだかんだ言って「売れてナンボ」が芸能界である。だから、マスコミでもある程度名前の通った売れっ子であり、そして落語の道にもまい進するというのがもっとも相応しいコースであろう。 
若き日の談志、志ん朝、米朝、そして仁鶴は、全てこれらの事をきちんとこなしてきた人たちだ。小朝や志の輔といった比較的若い世代の人々も、ここに入れてよいと思う。 

だが...これからの噺家に、果たして同じ事が出来るだろうか?今の30-40代前半の、もっとも勢いが乗っている中堅・若手達にも、落語が上手い人はたくさんいる。いや当方はこういう人たちの「今」を聴いている訳ではないので「いるらしい」と書いた方が良いだろう。だがこの人たちとて、マスメディアの世界で派手に売れているわけではない。いうなれば「知る人ぞ知る」というクラスに留まっていると見た方が良い。いま流行の、いわゆる「お笑い」というジャンルの世界の売れっ子相手に、現代的なセンスとスピードで、張り合える人などまずいないであろう。 

極端な話、そういう世界でワッと売れるようなセンスと実力の持ち主は、もう落語家になろうとはしないのではないだろうか。 

言うまでも無く、落語家は「仕込み」の時間が長い。そして売り出すのも概して遅い。下手したら40代でも「若手」だ。どう考えても、今の世の中のスピードと合っていない。お笑いとはスポーツに似た所がちょっとあって、40歳を境にスピードとセンスがたいてい衰えている。野球で言えば、速球派でもかならず球速が落ちてくるのだ。そこをどう補うかは本人次第なのだが、噺家の場合は、この球速で勝負できなくなってからがむしろ大事だったりする。分かりやすく言えば「熟成」してくる、と言っても良いだろう。 

だから40歳前後まではテレビで、センスとスピードで勝負し、それから「本芸」である落語の道へ...と出来れば一番良いと思う。逆は、もう現代ではムリだろう。40まで落語をみっちりと勉強して、それからメディアの世界で売れることはかなり難しい。 
鶴瓶などは、50歳辺りから古典落語への回帰が強まり、かなりの成果を上げている様だが、これはやはり師の人並みはずれた実力と精進がなせる業だと思う。そして考えてみると、今まで多くの人気者を輩出してきた上方落語の世界にも、どうも30~40代の人材が不足しているように思える。鶴瓶、そして落語の世界からは外れたが、明石家さんまなどのようなトップクラスの人気と実力を兼ね備えた人は、もう落語の世界からは出てこないと考える方が自然だろう。 


そう考えると、やはり落語はこれからも「伝統芸能」「古典芸能」の道をまい進するしかないのかもしれない。落語という芸能は、他の芸種にも無いしたたかな力を持っていると信じているが、そういう意味では心配をしている。って、ファンの端くれが心配しても仕方が無いか...


2006年6月13日火曜日

スウェーデンの臭い缶詰

最近『探偵ナイトスクープ』をビデオで見ているんですが、この中でシュールストレミングという、スウェーデンで作られている魚の缶詰を紹介していました。これはニシンを発酵させて作った食品なんですけど、世界一臭い食べ物のひとつとしてその分野では?かなり有名らしいです。 

以前にも同番組で取り上げられたことがあるそうですが、開封前から缶詰の中でガスが出て、プーッと膨らむくらいに強力。そしてひとたび缶を開けると中から臭い液が飛び出し、室内はむせ返るような強力なにおいが充満するとか。番組内でも試食していましたが、オエッと言いながら食べていました。ただ、口にいれたは良いものの、なかなか飲み込むことが出来ない人もいましたね。と思えば、美味い美味いとぺろりと平らげた道行くオジさんもいたりして、味覚というのは人それぞれなんだなぁ、とつくづく思いました。

人によってはそういう臭い食べ物を珍味として好き、というマニアもいると思うのですけど、私はもうああいう映像を見ているだけで気分が悪くなってしまいます。いい匂いの食べ物だって世の中にはたくさんあるのだから、何もムリして臭いものを食わなくても良いんじゃないか、と思うのですが... 

ただ私も、最初は納豆の臭いが嫌いで食べることが出来なかったんですけど、食べるようになったらむしろあの「匂い」が好きになりましたからね。シュールストレミングを好んで食べる人は、逆に匂い控えめなタイプのものだと物足りないのかもしれません。


2006年6月10日土曜日

二代目三遊亭円馬

落語の話をしていて時々残念に思うのは、関西の落語ファンの中に、東京の落語を認めない人が時々いることである。 
これだけ東京と大阪の距離が縮まり、大阪のお笑い芸人が東京に進出しているのにもかかわらず、当の大阪側で東京を認めない、というのは一体どうしたわけか。プライドか、コンプレックスか。あるいは両方であろう。 
ファンがそんなものを持っていても仕方が無いと私は思うのだが、妙にこだわる人はこだわる。 

人間国宝・桂米朝師が朝日新聞のサイトで、明治・大正期に活躍した二代目三遊亭円馬という噺家について語っている。 

http://www.asahi.com/culture/update/0609/020.html (リンク切れ)

米朝師匠も書かれているが、この人は不世出の名人・三遊亭円朝の直弟子であった。円朝が、目指した寄席改革が上手くいかず一線を退いた時に、自分も東京の寄席から退いて大阪へやって来た。 
二代目円馬は、大阪では桂派という有力なグループに当時属したのだが、やはり東京の噺は、なかなか簡単に受け入れられることは無かったらしい。 
しかしこれは拒絶反応というよりも、東西の落語の違いから、おそらく聴きどころのようなものを理解されなかったのではないか、と思う。 

そこで当時、桂派では特別な落語会を定期的に開催して、円馬師匠の優れた噺を、大阪でも受け入れられるようにじっくり聴いてもらう機会を持った。 
どうするかと言うと、まず人気者達が数名出演して落語を演じ、その後に円馬師匠がトリ前でじっくりと長講一席。そして最後は桂の総帥・二代目文枝や南光が出るというプログラムだったようだ。実力者と人気者の間に挟まれて、これなら客もじっくり聴くというわけだ。 

以来、大阪でもその力量を高く評価された円馬は、大阪にそのまま骨を埋めて「空堀の師匠」と呼ばれ、大正中期にこの世を去っている。円朝の有力な後継者候補が大阪に住んだのだから、やっぱり当時としても画期的なことだったんじゃないだろうかと思う。 
そして米朝師匠も書かれている通り、決して妥協したりせずに、自分の持ち味をそのまま生かして大阪の客にぶつけたと言うところに、ゆるぎない芸への自信を感じることが出来るのだ。そしてそれを受け入れた、当時の大阪の客にも感動させられる。 

もちろん現代でも、東京の落語を素直に評価することの出来る上方落語ファンは沢山いる。そういう人が、今後もどんどん増えて欲しいと思う。 

2006年6月9日金曜日

新藤兼人氏

納得するまで求めて、得た自信 
先が見えないなら根本からやり直す



巨匠溝口健二監督に師事していた時に、私は自分のシナリオを認めてもらえませんでしたから、大変に落ち込み、書くことをやめて根本からやり直さなくてはと考えました。そして『近代劇全集』43巻と『世界戯曲全集』の両方合わせて80巻を約1年半かけてすべて精読したのです。まるで学校へ行ったようなものですが、世界にはすごい人がいる、及びもつかない戯曲家が既に多く存在している、と目を開かされました。


http://www.asakyu.com/column/?id=39

この話は、新藤氏の回顧談に必ずと言ってよいほど出てくる。
でも何度読んでも感銘を受ける、とてもよい話だと思います。
巨匠でも壁にぶち当たり、一からやり直すような覚悟で勉強をした時期があった。
そんな事を知るだけでも、なんだか勇気が湧いてきますね。

また新藤氏は、たとえ脚本の注文が無くても毎日書き続けていたといいます。毎日書き続けることで映画への思いを燃やし続けることが出来るし、また突然に注文があっても「こういうものがあります」とすぐに出すことが出来る。
才能が無いの、何のという前に、まずは続けろってことですね。

2006年6月7日水曜日

ラグビーリーグを...(3)

...ということなんですけど、このミクシィのリーグ・コミュニティに参加している方の多くはぴっかぶーさんをはじめ、オーストラリアに在住の日本人だと思います。NRLは世界最高峰のリーグ組織ですが、やはりリーグの迫力あるプレーと、地元での熱狂的な人気に直接触れて、リーグのファンになる日本人の方も多いんですよね。

これは私のような人間にとっては興味深いことなんですが、たとえばカナダに住んだ方はNHL(アイスホッケー)の魅力にはまり、豪州でもメルボルンに住んだ方は、今度は当地で人気のオージー・ルールズ・フットボールのファンになったりする。
ニュージーランドだと当然、オールブラックスを熱狂的に応援していますし、もちろんアメリカに住んで、アメリカン・フットボールのファンになる人もけっこういます。

日本人はかなりの雑食民族だと思いますが、スポーツに関してもけっこうその傾向があるんだと思いますね。
そういう熱気が、世界中の各地からダイレクトに伝わってくるのも、このミクシィの面白いところだったりすると思います。

昔、ラグビーマガジンでリーグの特集を何度か組んだことがあるんですけど、そのときに載っていた逸話として、リーグを日本で興行しようとした人が何を間違えたか、日本ラグビー協会の幹部に話を持っていってにらまれたらしいです。

ただ1996年には駒沢競技場で、この豪州リーグの強豪チームによるエキジビションマッチが行われました。私も観に行ったんですが、あまりルールの説明とかがなくて観衆は戸惑っていましたね。まあ見ていれば理解できますが。
しかし宣伝が行き届かず、ファンの注目は低かったですね。
2006年06月07日11:46

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ラグビーリーグを...(2)

ということで現在では、異なる二つのラグビーが混在しています。

結論から言うと、ラグビーユニオンとラグビーリーグの「100年戦争」は、ラグビーユニオンの勝利に終わりました。あるいは、終わりつつあります。と言っても、リーグの歩みが間違っていたわけではなく、むしろ正しかったと言えるでしょう。ラグビー側がこの10年間やっていることは、リーグがこの100年かけて行って来たことを踏襲しているとさえも言えるのです。

ただ、リーグというのは盛んな地域があまりにも少ない。かんたんに言えば、シドニーやブリスベンを中心とする豪州東海岸地域と、リーグの「ハートランド」とでも言うべきイングランド北部に限定されてしまいます。イングランド北部はサッカーの中心地帯でもあるので、本当にリーグが人気ナンバーワンの地域は、極論すれば豪州の一部だけなのです(ただし、この地域では、リーグの人気はいぜんとして凄いものがあります)。

一方のラグビーは、1987年からスタートしたワールドカップが順調に発展、ビッグビジネスになりました。いまや両者の競技としての地位や注目度は、世界的に見れば月とスッポンでしょう。リーグの関係者は、この現状に危機感を抱いていると思います。今すぐリーグが無くなる、というわけではありませんが、長い年月をかけて「静かなる死」を迎えるのではないか、ということが言われておりました。

だがリーグも、2008年には久しぶりにワールドカップを開催します。そして少しずつですが、リーグをプレーする国も増えてきています。日本代表も、ワールドカップ予選に参加します。本大会出場への道もわずかではあるけれどあるのです。これからリーグがどのように巻き返していくのか、次回ワールドカップを成功へ導くことが出来るのか。それを見るのがたいへん楽しみであります。
 
2006年06月07日11:12

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ラグビーリーグを知ってるかい?(1)

私がミクシィに入会できたのも「ぴっかぶー」さんにお誘いいただいたからなんですけど、その縁もあってこちらでは、ずっと豪州ラグビーリーグ(NRL)のコミュニティにずっと厄介になっております。私はこの15年あまり、日本ではまったく無名にちかいこのスポーツの大ファンなのです。

ではラグビーリーグ(以下リーグと略す)とは何か、と申しますと、これは日本で一般的に行われるラグビー(=ラグビーユニオン、以下ラグビーと略す)とは違い、1チーム13名で行われる競技のことです。詳細は省きますが、英国で19世紀の末にラグビー界が分裂し、主にイングランド北部のクラブが独立して独自の発展を遂げていった。これがオーストラリアやニュージーランド、フランスなどにも伝わり、現在に至っているわけです。
日本では語順をひっくり返して「リーグラグビー」という言い方をよくしていましたね。

厳しいアマチュアリズムを20世紀末まで固辞したラグビーとは別に、リーグはいちはやくプロ化し、観客にアピールしやすい分かりやすいルールに改正し、激しいコンタクトプレーや技術的にスキルの高い試合を展開していました。
またラグビー界の大物有名選手たちと契約を結び、リーグへ引き抜くと言う事態が80年代には頻繁に発生していました。
当時は日本でもリーグの試合を見られる機会は皆無だったので、このリーグへの転向と言うのは海外ラグビーファンにはけっこうショッキングな出来事でした。特に日本では、ラグビーのアマ主義を素晴らしいものとみなす人が多かったため、リーグを敵視する人が多かったのも確かです。

だが1995年以降、ラグビー界もオープン化。以後、世界はどどっとプロ化になだれ込み、この流れに乗れなかった日本はあっという間に国際舞台で弱体化していきました。
またリーグへ去った選手もラグビーへ復帰、さらに今度はラグビー側が、リーグの有力選手を高額の契約金(と言っても、北米や欧州のメジャースポーツに比べれば嘘みたいに安い)で引き抜く、あるいは勧誘すると言う事態が現在まで続いています。

2006年06月07日10:55

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2006年6月6日火曜日

ドジャースタジアム(3)

では、ここで仮定の問題。

もしあなたが、一生に一度だけ、生でメジャーリーグの試合を見るチャンスを得たとする。そのとき、どこの球場に行くべきだろうか?
ディマジオがプレーしていたヤンキースタジアムだろうか。イチローや城島のいる、マリナーズの本拠地セーフコフィールドであろうか。それとも熱狂的なファンの声援が楽しい、ボストン・レッドソックスのホームであるフェンウェイ・パークだろうか。

もし、特別に贔屓のチームや選手がいなくて、日本人選手のプレーが見られなくともよいのなら、お奨めはドジャースタジアムだ。球場のデザインが良い、そしてドジャースのホームのユニフォームが良い。そして、サザンカリフォルニアの、あの抜けるような青空がもっと良い。だから「ドジャースタジアムのデーゲーム」と特定すべきかも知れない。もちろんナイトゲームで、薄暮の時間帯も魅力的だろう。今は斉藤隆投手も在籍しているから、運がよければ登板試合を見られるだろう。

独断と偏見だが、あの球場こそが、私の中にある「大リーグ」のスタジアムである。私が「大リーグ」の魅力にはまった70年代も、そして現在も、ドジャースタジアムは変わらぬ魅力を保ち続けていると思うのだ。
ニューヨークやシカゴに比べると、公共交通機関に乏しく、治安面での不安もあるにはあるが、そういう問題をクリア出来れば、という前提で読んでいただきたい。
2006年06月06日14:55

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ドジャースタジアム(2)

それでも、メジャーリーグの球場で試合を見るというのは、日本人にとって楽しいイベントの一つである。
先日も中西部に住む旧友が、シカゴへホワイトソックスの試合を観に行った。もちろん、お目当ては井口資仁二塁手の活躍だ。だが運の悪いことに、その日井口はけがでスタメンを外れてしまった。それも試合前に足に痛みを覚え、急遽欠場が決まったのだと言う。

友人達の落胆振りを考えると本当に心が痛むが、これも野球観戦につきもののリスクであろう。お目当ての選手が、試合に出ないと言うことはよくあることだ。選手にも罪はない。
それでも、数年に一度の野球観戦しかしない人が、見たい選手を見られなければがっかりするのは当然のことである。

昔、ジョー・ディマジオが痛めた足を引きずりながら試合に出たときのこと。どうして試合を休んでけがを治さないのかと訊かれて、
「きょう球場には、一生に一度しか野球を見に来ない人が来るかもしれない。もし私が今日の試合を休んだら、その人は一生ディマジオを見なかったことになってしまう。その人のために、私はプレーする」
と語ったと言う。驕りだろうか、違う。これがスーパースターの誇りであり、義務感なのだ。

2006年06月06日14:26

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ドジャースタジアム(1)

野球が好きなので、アメリカに住んでいる人からもメジャーに関する質問をよく受ける。
アメリカに住んでいるからといって、メジャーリーグに自然と詳しくなれるかというと、そんな事は全く無い。むしろ疎い人の方が圧倒的多数だろう。
「日本人選手」というフィルターを外してしまえば、メジャーリーグというのは一般の日本人にとって縁遠いものである。それに日本人がバリバリと、レギュラーで活躍しているのを身近で見ることが出来る都市は、本当に限られている。

知人に野球好きな人がいて、巨人ファンだった。この人はニューヨークで勤務していたのだが、「じゃ松井のヤンキースでの活躍は見るのが楽しいでしょう」と言ったら、そうでもないと言う。「会社から帰って、巨人の試合を見るのが楽しみだったんだよ」という。松井はもう、それほど眼中になかった。巨人が勝った(負けた)ニュースを見て、酒を飲むのが楽しみだったと言う。
私は、こういう人が好きだ。そんなに熱狂的な野球ファンでなくても、生活の習慣のなかにプロ野球があって、その結果に一喜一憂している。じぶんのひいきチームのスターが「メジャー」に移籍しても、そんなに気を惹かれない。それはそれ。活躍してもらいたいけど、自分の生活スケジュールの中に割り込んでくることは無い。たとえニューヨークに住んでも。
良い悪いの問題ではない。好みの問題だけど、私はそういう「普通さ」「平凡さ」を、心地よく思うタイプの人間なのである。

2006年06月06日13:27

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2006年6月5日月曜日

立川志の輔独演会

今夜はニューヨークの郊外で行われた、立川志の輔独演会へ行ってきた。 
会場はパフォーミング・アーツセンターといって、市街中心地にあるなかなか立派なホール。椅子も非常にゆったりとしていて、長時間座っていても疲れなかった。 
もちろん日本のような高座は望めないが、それでも舞台からちょっと高くなった台に座布団を敷いて、そこで落語を出来るようなステージ設定になっていた。 

昨日はデトロイトでの公演だったそうで、志の輔師はブロードウェイによくミュージカルを見に来ているとの事。 
まずは前座で志の春さん。師匠の3番弟子だそうですが、なかなか口跡もよく、「錦明竹」をきっちりと演じて笑いをとっていた。聞けば子供の頃当地で住んでいた?とかで、いわば「故郷へ錦」を飾ったことになる。しかもアメリカの超一流大学を出て、日本の某総合商社で勤務していたというなかなかユニークな経歴の人だった。 

そして今夜の主役、志の輔師登場。観客の反応をうかがっていたのかたっぷりとマクラを語り、ちょっとベタな?小噺で笑いを取っていた。今日は家族連れが多かったので良かったと思う。そして自作の噺「親の顔」。これは家族向けに配慮した噺のチョイス、かもしれない。面白かった。 

そして休憩無しでジャグラーのダメじゃん小出氏。なかなか脱力系の笑いだが、目先が変わるし楽しい色物だった。 
そしてトリはもちろん志の輔師再登場で「妾馬(八五郎出世)」。と言ってもストーリーは、通常と異なるように思われる。ここにも志の輔流の創意工夫があるのかもしれない。八五郎の憎めないキャラをはじめ、出てくる人物が皆よい人で、観客もじっくり聴き込んでいた。 

サゲを言い終わって拍手が来ても緞帳が下りるわけではなく、そのあと師匠からちょっとしたトークがあって、最後に出演者総出で三本締めにて終わった。 
まぁ落語にそれほど精通している観客ではないし、司会の人もいるし、いろんな意味でユニークではあったが、くせのある客層ではないので、素直に笑える良い会だったと思う。
しかし、志の輔師匠を聴いたのは一体何年ぶりだろう?もはや大御所の風格が出てきている。声はかなり渋いが聞き取りにくいわけではなく、むしろ聴いていて心地よい。ところどころ、師匠の立川談志・立川流家元を彷彿させる言い回しなどもあって、良いところがしっかりと継承されているんだと思った。 
マニアックに走らずそれでいて単なるタレントでなく、こうして古典も新作も出来るオールラウンドなプレイヤーなのだから、現在の人気も改めて納得できるものでした。非常に楽しめる結構な会だった。 

落語と言うのは、それそのものに力がある芸能だと思いますけど、力のある演者がやると余計にパワーを感じます。そして聴き終ったあとは満足感だけでなく、なんともいえない力を授かったような気にもさせてもらえます。 

落語は、特に古典は「古い噺をそのまま演じているだけ」と錯覚する人も多いと思いますが、決してそんなことはないですね。そんな人も中にはいるんでしょうが、やっぱり一から創り上げていくもんだと思います。そのフォーマットを借りているだけで、基本的には演者の力量ですからね。面白い噺だって、ダメな人がやったらやっぱりダメですからね。 


2006年6月4日日曜日

昨日も雨、今日も雨

昨日からニューヨークはまとまった量の雨が降っています。
昨日はバスに乗って帰宅したのですが、道も大変な渋滞でなかなか家にたどり着くことが出来ませんでした。
シェイスタジアムで予定されていた、メッツとジャイアンツの試合も当然お流れ。

それで今日にダブルヘッダーということに予定が組みなおされたんですが、今日も昨日同様の雨。第1試合は午後1時半に予定されていたんですが、プレーボールがかかったのは結局4時ごろになってしまいました。
この試合ではボンズが出場し、盛大なブーをいただいておりましたが、2安打打って気を吐いておりましたね。大きなヤマを超えて、けっこうリラックスしておりますね。
第2試合はいま始まっています。トム・グラヴィンが先発。

その間にボルティモアではヤンキースの試合があったんですが、今日もヤンキースが競り勝ちました。マリアーノ・リベラも腰の調子が思わしくなく、カイル・ファーンズワースは連投のため登板回避で、なんとチェンミン・ワンが臨時クローザーをやったんですけど、ようこんな起用で勝ったと思いますよ。今季はなんと言っても、スコット・プロクターが競った場面で使えるようになったのが大きいです。
第2試合は午後7時半ごろ始まっていたと思いますけど、それでも延長に突入していましたねw。
選手も大変ですわな...スタンドも殆ど観客は帰っていましたけど、グラビンは相変わらず良い内容のピッチングでした。

ヤンキースもなんだかんだ言って若手がくすぶっていましたけど、去年・今年とその辺が出場機会を得てきているので、そういう意味では怪我の功名ですね。問題はアンディ・ぺティットのように長くローテで活躍できる先発と、そしてマリアノ・リベラの後継者をいかに育てていくか...これが一番たいへんな問題になりそうです。リベラ級はそうそう簡単には出てこないですけどね。

メッツはといえば、スコット・カズミアーという貴重なエース候補をわざわざデビルレイズに放出していますからね。そういう失敗がなければ、今は良い組織になってきているとは思います。
今夜は点差が付きましたが、最後にリベラが登板していました。
1996年ウェッテランドが抑えでリベラがセットアップでした。97年は伊良部がヤンキースに移籍したシーズンでしたがこの年はインディアンズに敗れ、翌年から3連覇ですね。

今年はファーンズワースが主に8回を投げていますが、速球は申し分ないものの安定度に難アリです。やはり去年までのトム・ゴードンは酷使に耐えて使い勝手のよい人でしたが、今年はフィリーズでクローザーを務めています。
上にも書いたとおり、去年までは敗戦処理だったプロクターが成長しています。あとオクタビオ・ドテルがいるんですけど、いまはリハビリの最中です。
2006年06月04日09:39

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2006年6月3日土曜日

ヤンキースvsタイガース4連戦

けが人でボロボロのヤンキースなんですが、出てきた香具師がみなよく頑張っています。メルキー・カブレラも松井に代わってレフトに入っていますけど、この4連戦全ての試合でヒットを打ってますし、昨日の試合でも見送ったらスタンドインの当たりをジャンピングキャッチしておりました。

昨日の試合は中継ぎのスコット・プロクターがナイスピッチでリードを守っていたんですが、最終回にカイル・ファーンズワースが<s>予定通り</s>大炎上してしまい、ホームのタイガースが逆転アディオス勝ちを収めました。パッジがサヨナラのランナーだったんですが気合入りまくり、打倒ヤンクスへの激しい闘志を感じましたね。

しかし、その前の3試合はヤンキースが取りました。特にRJが珍しく好投したのが大きかったですな。3戦目の先発だったムースも完封こそ逃しましたが、9回にマウンドに来ようとベンチから出かけたトーリを、鬼の形相で制してそのまま投げきりました。気合満点でしたね。

2006年06月03日07:11


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My Winding Path to English Mastery