2012年2月16日木曜日

受験英語と日本人

『受験英語と日本人』
―入試問題と参考書からみる英語学習史受験英語は日本人に何をもたらしたのか
江利川春雄 著

http://webshop.kenkyusha.co.jp/book/978-4-327-41076-6.html


日本人と英語のかかわりにおける「黒歴史」に光をあてた快著。 

大人になっても数学が出来ない、簡単な方程式すら解けない…という人は多い。 
そんな人は、おそらくは自分の不勉強ぶりを嘆くだろう。 
俺は数学が苦手やったからな、文系やったからな、と、自分を責めることが多い事だろう。 
日本の数学教育に致命的な欠陥があるから、自分は大人になっても方程式が判らない、などという人は、あまりいないはずだ。 

これが、英語が出来ないという人についてはどうだろうか。 
「英語のセンスが無いから」「英語から離れているから」等はまだ良いとしても 
「日本の英語教育が読み書き中心だから、中高6年間習ったのに英語が話せない」と、英語の教師や英語教育の方法論に責任がある、と考える人はとても多い。 
これは、さすがにちょっと不公平ではないだろうか。 

そんな英語教育界の鬼っことして、ずっと日陰の立場に立たされていたのが「受験英語」だ。 
受験英語は「使えない英語」の代名詞として、何時もやり玉に挙げられてきた。 
受験の時、細かい文法規則や構文ばかり暗記させられたから、日常生活では実際に英語を使えない大人が大量に発生したのだ…と。 
それはまぁ、一面の真実ではあろう。でも、だからと言って、日本で高度に発達した英文解釈法を中心とする「受験英語」を、このまま闇に葬り去るようなことがあって良いのだろうか。 
いま盛んに持て囃されている「コミュニケーション英語」とやらは、そんなに日本人の英語力をアップさせてくれるのであろうか? 

日本人にとっての負の遺産として、今まで黙殺されてきた受験における英語教育、英語学習法、そして英語参考書の歴史について、この本では明治から現在までの時系列に沿って紹介されている。 
日本人が、大学受験における英語の試験問題にどれだけ悪戦苦闘してきたのか。受験生の立場からと、そしてそれを指導する教育者の立場の両面から、豊富な資料を駆使して語られている。 

しかし、冒頭で紹介されるのは、駿台予備校の英語科主任として戦後の受験英語界に君臨し続けた、伊藤和夫氏の激烈な生涯についてである。 
伊藤は、「英文解釈教室」(研究社)をはじめとしたロングセラーを多くものにしながら、それらの自著についても徹底的な自己批判を繰り返した。、 
受験生や、英語が苦手な生徒たちに、少しでも判りやすく、効果的な学習教材を提供したい…伊藤はそんな気持ちで、その生涯を受験英語にささげ続けた。 
死の床にあっても病魔と戦いながら、命の燃え尽きる瞬間にまで「僕には時間が無い」と原稿を書き続けた、伊藤氏の最後の日々には胸を打たれる。 
また昭和の高校生には懐かしい、「高校生の基礎からの英語」「英語の構文150」(共に美誠社)の著者である、高梨健吉慶応大学教授のお話も心が温まる思いがした。 

だが、著者が言うとおり、彼らが心血を注いで書き表した受験参考書の多くは、公共図書館には保存されていないようだ。 
参考書など、受験突破のためのいわば必要悪に過ぎず、大学に入ってしまえば用済み、という事なのか。だから、図書館が所蔵すべき本ではない、という事なのか。 
その割には、愚にもつかない「英語が10日間でばっちり身に付く!」みたいな本は、割に図書館でもよく置いてあるのだが… 

受験英語の歴史に光を当てたこの本の出版を契機に、全国の図書館関係者が考えを改めてくれることを希望する。 
受験英語の参考書もまた、日本の近代が残した大いなる文化遺産のひとつなのだ。 



4 件のコメント:

  1. 受験英語は色々問題もありますけど、重厚な文章より新聞記事などのようなシンプルな文体の文章を大量に読ませる傾向が強まるあまり、財産まで一緒に捨てているように見えるときはありますね。

    英文解釈教室は私も使いましたし、勉強していて面白かったですが、今の私大英語の勉強にはあまり適さなかったような気がします。まあ、私の使い方にも問題はあったのでしょうけど・・・。

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  2. イヨノさん
    受験英語を野球の投球術に譬えるならば、ストライクゾーンの四隅に放れる、しかもボール半個分の出し入れを一生懸命に追及していたような所はありますね。確かに、そんな事ばかりやっていても意味が無いというのはあったと思います。それ以前に、キャッチボールの出来ない人も多かった(私もその一人)ですからね…
    ただ、英語に関しては何時も極端な議論ばかりです。コミュニケーション志向、英語は多読と言えばもう文法は不要、みたいな事を言う人が出てくるのにも呆れてしまいます。
    多読の必要性は、漱石ですら言ってたくらいですからね。

    私は以前にも書いたように、伊藤氏の後継者である高橋善昭さんに習ったことがあります。ただ名講師の授業を聞くとそれで賢くなったというか、学力が付いた気になるのは曲者でしたね。なんの勉強でもそうでしょうけど、反復して身に着けないと意味が無い…

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  3. 受験英語…懐かしいコトバですね、
    もう何十年も前の話ですが。

    英語に関しては、ご指摘のように極端な話が多いです。
    最近「日本人の9割には英語がいらない」という本を
    読みましたが、後味の悪い本でした。
    ある一面からしか物を見ていない。

    受験英語はいつも槍玉に上がりますね。
    確かに、学ぶという観点から言うと問題は多いでしょうが、
    あの時期に懸命に学んだことって、知らず知らずのうちに
    財産になっていると思います。

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  4. おいどんさん、コメントありがとうございます。
    「日本人の9割は…」私も読みました。著者には悪いですが、神保町の古書店で安く売っていたのを購入しましたw 
    私はちょっと変わっているのか、今でも受験生向けの学習参考書を読むのが好きです。

    まあ学習方法はどんなアプローチでも良いんですけど、最終的に考えないといけないのはやはり発信機能ですね。今はまだ会話に重きが置かれていると思いますけど、実際にはもっとライティングの能力をアップさせないといけない。
    英語が出来る、と思われている人たちでも、ライティングの力が弱い人は多いと思います。
    とりわけネットでは、動画投稿サイトなどが発達してきましたが、依然として書き言葉が主流であることは変わらないし、今でも英語のライティングを指導できる人材って不足していると思いますからね。

    ただ、これは何も英語に限った話ではない…
    母国語である日本語のライティングだって、深刻な能力低下が言われていますからね。

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My Winding Path to English Mastery