1987年に第1回大会が行われたラグビー・ワールドカップは成功に終わり、以後も4年に一度世界チャンピオンを決める大会として定着していきました。ラグビーユニオンの人気は上がり、世界的にも注目を浴びていきりましたが、それでも選手がアマチュアであるという状況は依然として変わりませんでした。よりコンペティティブなレベルでプレーしようと思えば、時間をかけて厳しい練習もしないといけないし、常にベストコンディションを保っていないといけない。トップクラスの代表選手は、プロアスリート並みの厳しい競技生活を強いられましたが、それでもラグビー自体で収入$E3��得ることは、少なくともルール上はありませんでした。
だからユニオンからリーグへ、という選手の流れが変わることはありませんでした。第2回ワールドカップで活躍した、オールブラックスの巨漢ウィングのトゥイガマラなどもリーグに転向し、英国リーグの強豪ウィガンでプレーしています。
一方のラグビーリーグでは、1950年代からすでに「ワールドカップ」という名称の大会を開催しておりましたが、こちらは国際試合で通用する競技レベルでプレーする国が極端に少ないため、実質的には英国、豪州、NZ、フランスによる選手権に限定されておりました。特に近年では豪州の力が突出し、豪州代表カンガルーズの優勝は戦わずして決しているような状態が続きました。
1995年、国際ラグビーボード(IRB)は東京で行われた会議でアマチュア規定を破棄し、プロの存在を認める歴史的な決定を下しました。そしてラグビーユニオンでは、一気にプロ化の流れが加速します。1895年にイングランドの北部ユニオンがラグビーから離脱し、独自のルール体系を作り上げてラグビーリーグという「もう一つのラグビー」を作り上げるきっかけが出来てからちょうど100年という、まさに劇的なタイミングでの構造改革が行われたわけです。
そのときをきっかけに、二つの流れが起こりました。
1.ユニオン→リーグへの選手流出の「逆流」
2.両競技のコーチなどによる技術交流
リーグに転向していた選手達はプロに転向したことで、ユニオンからは「破門」のような状態になっていましたが、プロ化が認められたことでユニオンに復帰することが可能になりました。ウェールズ代表として活躍しながら転向し、リーグの世界でも成功を収めていた名スタンドオフのジョナサン・デービスは、再びユニオンに戻って15人制の世界に返り咲いています。そしてユニオンと、リーグのチーム同墫が対戦するという、以前では考えられなかった事も起きたのです。たとえばウィガンと、当時イングランドのユニオン王者だったバースがお互いのルールで対戦したり、ウィガンがユニオンのセブンス大会に出場するといった具合でした。同じラグビーという名前を持ちながら、様々な意味で対立を繰り返したユニオンとリーグを取り巻く状況は、この頃から劇的な変化を見せるようになったのです。
そして豪州代表ワラビーズのように、自国内に豊かなリーグ文化を持つ国は、プロの先輩であるリーグの高度な技術を学んだり、リーグのトップ選手をヘッドハントして起用するようになりました。2003年のワールドカップにワラビーズの一員として出場したマット・ロジャースやロート・トゥキリなどは、元々リーグのスター選手だった人々です。なんか意趣返しのようにも聞こえますが、両競技が高いレベルで切磋琢磨し、お互いが向上できる良い環境が出来たともいえます。
そんな中、イギリスと豪州では、また新たなスター選手の「コードチェンジ」(ユニオン⇔リーグ間の競技転向)が話題になっています。これはまた明日にでもお話しましょうね。
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http://d.hatena.ne.jp/daispo/20050309
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