府立図書館を後にした私は、再び地下鉄に乗り大阪市内へ。
四天王寺夕陽丘駅で降りて、次の目的地である「もみぢ寺」へと向かった。
もみぢ寺、というのは愛称みたいなもので、正確には「寿法寺」というらしい。
私が通っていた高校に近いが、子供の頃はお寺巡りをするという趣味があった訳でもなく、今回が初の訪問となる。
しかし、この寿法寺さんを訪れるのは、私にとっては長年の夢であった。
ここには歴代の笑福亭松鶴など、有名な落語家のお墓があることでも知られているからだ。
私のお目当ては、二代目・三代目の三遊亭円馬の碑だった。
円馬は、三遊亭という亭号をみても分かる通り、元々は東京の名前である。
二代目円馬は、三遊亭円朝の高弟であった。
しかし、明治中期に師・円朝の高座引退とともに、自らも東京の寄席から身を引いてしまった。
そして大阪へやってきてからは、上方落語界の重鎮として君臨する存在となる。
四代目の桂米團治は、二代目の円馬について「大阪人に東京落語の魅力を伝えた恩人だ」と書き残している。
円馬の名跡を、当時は橋本川柳と名乗っていた三代目に譲って自身は円翁となり、大阪で没した。
三代目の円馬は、落とし噺よし人情噺よし、また東京・大阪・京都の言葉を自由自在に使い分けて天才の名を欲しいままにしたが、太平洋戦争末期の昭和20年に没した。
二代目・三代目円馬の研究は、私にとっては長年のライフワークでもあるので、寿法寺をお参りすることで何かホッとした気分にもなった。
寿法寺を出た後は四天王寺を通り過ぎ、天王寺公園へ。
天王寺・あべのエリアは、私にとってはミナミに次ぐかつての本拠地ではあるが、今では本当に縁の薄い土地となってしまった。
近年では「てんしば」というエリアが出来ているが、ずいぶん様変わりした印象を受ける。
天王寺公園を通り抜けて新世界へ。
御存じ通天閣のあるところだ。通天閣に登ったのは、まだ6歳ぐらいの頃だったと記憶している。
なんならもう一度入って観たかったけれど、45分待ちと言うのであっさりと断念。
近くの老舗のそば屋さんで、ビールにだし巻き玉子で一杯。
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