2012年11月20日火曜日

恐妻家とは

  「恐妻家」って言葉は阿部眞之助が編み出したと思っていたけど、どうもそういう訳では無いらしい…
ただ日本恐妻連盟、って組織をこしらえたのは阿部(^o^)



恐妻家という表現は大正時代には成立していたようで、大正13年(1924年)「春日局の焼餅競争」(三田村鳶魚)には秀忠に関する記述で「二代将軍も随分な恐妻家であります」とある。
この言葉の考案者は大宅壮一とする説[1]と、徳川夢声共済組合のもじりで「恐妻組合」と洒落たという説[2]がある。徳川夢声がこの洒落を飛ばしたのは昭和13年(1938年)という事なので前述の資料よりだいぶ時代が下り、徳川夢声は駄洒落の考案者であっても「恐妻家」の考案者ではない可能性がある。
(ウィキペディア「恐妻家」の項)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E5%A6%BB%E5%AE%B6

阿部 真之助(あべ しんのすけ、旧字体:眞之助、1884年(明治17年)3月29日 - 1964年(昭和39年)7月9日)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治評論家、随筆家。東京日々新聞主筆、日本エッセイスト・クラブ初代理事長、第9代NHK会長。恐妻家としても知られ、自ら日本恐妻連盟を組織し総裁に就任。「恐妻とは愛妻のいわれなり」との名言を残した。
(ウィキペディア「阿部眞之助」の項)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E7%9C%9E%E4%B9%8B%E5%8A%A9






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