ニューヨーク・ヤンキースの実況アナウンサーであるジム・カットは、先週15日のボストン・レッドソックス戦を最後に「引退」し、今後は妻と共に過ごしたり、フロリダ州でゴルフに興じる日々を過ごすことになった。
15日の試合は、残念ながら雨で流れてしまい、カットの最後の解説を聴く事は出来なかったが、翌16日の同カードを放送したFOXの中継にゲスト出演し、同局のコメンテーターであるティム・マッカーバーと最後の共演を果たした。
カットは1938年生まれ、ワシントン・セネターズの一員として1959年に弱冠20歳でメジャーリーグ・デビュー。翌年初勝利を挙げたが、チームはミネソタに移転し「ツインズ」と名乗った。以来、カットはツインズやシカゴ・ホワイトソックスなどで主力投手として活躍し、1983年にセントルイス・カージナルスで25年に及ぶ現役生活にピリオドを打った。日本で言えば、昭和34年にデビューし、58年に引退したことになる。テッド・ウィリアムズから、ダリル・ストロベリーまで対戦したという。
ちなみに彼がデビューを果たした時の、アメリカの大統領はドワイト・アイゼンハワーであり、引退した時はロナルド・レーガン政権であった。彼がマウンドで投げ続けている間に、大統領はアイゼンハワー→ケネディ→ジョンソン→ニクソン→フォード→カーター→レーガン と移り変わっている。
この間カットは通算283勝をマークし、1966年には25勝を挙げてア・リーグ最多勝のタイトルを獲得している。だがもっと素晴らしいのは、1962年から77年まで、両リーグにまたがってゴールデングラブを獲得し続けたことであろう。通算16度の同賞受賞はピッチャーとして史上最多であり、野手を含めた全体でも1位タイ(ブルックス・ロビンソン)である。また打者としても通算16本塁打を放つなど、投手のみならず、野球選手として優れた才能を持っていた人であった。
引退後は放送席の前に座り、ここでも優れた技能を発揮。派手さは無いが手堅い話し振りで、ファンの心をつかんだ。
私自身もカットのアナウンスぶりは好きで、彼が自伝"Still Pitching"を出版した時に、本にサインをしてもらったが、今でも大切に取ってある。
これほどの活躍をフィールドの内外で見せたカットだが、残念ながらまだ野球殿堂入りは果たしていない。次に彼の姿を目にするのは、クーパースタウンの殿堂入り式典のスピーチであることを祈るばかりだ。
今まで素晴らしい実況をありがとう、そして素晴らしいキャリアに心から賛辞を送りたい。
2006年09月18日15:42
mixi
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