数日前に、プロレス専門紙の老舗「週刊ファイト」が休刊する、というニュースをこのミクシィで読んだ。
とうとう無くなるのか、というよりも、よくここまで続いたなぁ、という感慨に襲われた。アントニオ猪木やタイガーマスク、長州力といった新日本プロレスの全盛時代、「ファイト」はプロレスファンにとって必読紙の一つであった。いまから20年以上も前の話だ。
「ファイト」では、新日と並んでプロレス界の旗頭である、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスの記事は比較的少なかった。だから、全日ファンには必ずしも評判良いメディアではなかったかと思うけど、でも私は東スポとこの「ファイト」だけは、毎週ほぼ欠かさずに読んでいた。今のようにインターネットがある時代ではなく、情報源も非常に限られていたのだ。だからロマンティックな空想も入り乱れて、当時のプロレスには様々な「神話」が存在しえたと思う。だいたい「猪木と馬場は、一体どちらが強いのか?」は、まだプロレスファンにとってもっとも議論を呼ぶトピックであったのだから。
当時はこの2団体に加えて、新日本から派生した格闘プロレスを標榜する「UWF」くらいしかなかった日本のプロレス界だが、その後は新団体が雨後の筍のように発生しては休止するという繰り返しで、プロレス団体に対する求心力が激しく低下。そしてK-1やプライド、UFCといった格闘技ブームの到来で、プロレスというジャンル自体がもう衰退の一途を辿っている。
とうとう無くなるのか、というよりも、よくここまで続いたなぁ、という感慨に襲われた。アントニオ猪木やタイガーマスク、長州力といった新日本プロレスの全盛時代、「ファイト」はプロレスファンにとって必読紙の一つであった。いまから20年以上も前の話だ。
「ファイト」では、新日と並んでプロレス界の旗頭である、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスの記事は比較的少なかった。だから、全日ファンには必ずしも評判良いメディアではなかったかと思うけど、でも私は東スポとこの「ファイト」だけは、毎週ほぼ欠かさずに読んでいた。今のようにインターネットがある時代ではなく、情報源も非常に限られていたのだ。だからロマンティックな空想も入り乱れて、当時のプロレスには様々な「神話」が存在しえたと思う。だいたい「猪木と馬場は、一体どちらが強いのか?」は、まだプロレスファンにとってもっとも議論を呼ぶトピックであったのだから。
当時はこの2団体に加えて、新日本から派生した格闘プロレスを標榜する「UWF」くらいしかなかった日本のプロレス界だが、その後は新団体が雨後の筍のように発生しては休止するという繰り返しで、プロレス団体に対する求心力が激しく低下。そしてK-1やプライド、UFCといった格闘技ブームの到来で、プロレスというジャンル自体がもう衰退の一途を辿っている。
だから今回の「ファイト」休刊は、一つの時代が完全に終わりを告げる、象徴的な出来事だと言えるのかもしれない。
...そんな事とは直接関係ないが、私の思い出話をひとつ書いてみる。
...そんな事とは直接関係ないが、私の思い出話をひとつ書いてみる。
高校生だった私はある日、駅のスタンドで買い込んだ「ファイト」を読みながら電車に乗っていた。そこに、男女二人のカップルが乗り込んできた。
カップルのいでたちは、今にして思えば異様だった。まず二人とも、お揃いのカンカン帽をかぶっている。そう「嘆きのボイン」で一世を風靡した、あの月亭可朝のトレードマークであるストローハットの一種だ。
カップルのいでたちは、今にして思えば異様だった。まず二人とも、お揃いのカンカン帽をかぶっている。そう「嘆きのボイン」で一世を風靡した、あの月亭可朝のトレードマークであるストローハットの一種だ。
しかし、あのカップルが月亭の師匠に憧れて、カンカン帽をかぶっていたわけではなかったと思う。その証拠に、二人はメガネやチョビヒゲは付けていなかったし、ギターも持っていなかった。
ただし、二人ともお揃いの派手なガラ入りのシャツを着て、白いパンツにサスペンダー、というファッションで統一していた。当時、サスペンダーは「ナウなヤング」の必須アイテムだったのだ。
今ではよく覚えていないが、たぶんシューズも「おそろ」だったかもしれない。それは今にして思えば、パリの大道芸人みたいな格好であった。だけど、二人は間違いなく自分達のファッションに誇りを持っていたと思う。二人の全身から「どう、俺たちお洒落だろ?」光線が発せられていたのだ。
つまりあの二人は、上から下までお揃いの「ペアルック」であったのだ。
ただし、二人ともお揃いの派手なガラ入りのシャツを着て、白いパンツにサスペンダー、というファッションで統一していた。当時、サスペンダーは「ナウなヤング」の必須アイテムだったのだ。
今ではよく覚えていないが、たぶんシューズも「おそろ」だったかもしれない。それは今にして思えば、パリの大道芸人みたいな格好であった。だけど、二人は間違いなく自分達のファッションに誇りを持っていたと思う。二人の全身から「どう、俺たちお洒落だろ?」光線が発せられていたのだ。
つまりあの二人は、上から下までお揃いの「ペアルック」であったのだ。
ペアルック、なんという恐ろしい響きだ。男女が同じ装いで、街へと恥ずかしげもなく繰り出していく。またそれが「良し」とされた時代なのだ。ペアルックが、日本で何時頃から流行したかは分からないが、私の中でプロレスブーム、つまり「ファイト」の黄金時代と、ペアルックの時代はきれいにシンクロしている。特にこの日の印象的なカップルにより、それは消しがたい記憶として私の脳に刻み込まれた。
そして、もっと情けないことに私は
そして、もっと情けないことに私は
「あぁ、あの二人カッコ良いなぁ...俺も自分の彼女と、あんな格好でデートしてみたい」
と、一瞬だが思ったのである。ペアルックのでのデートにあこがれたのだ。そこには、先ほどまで読んでいた「過激なプロレス」の世界は微塵も存在していなかった。甘い甘い、ココアとシロップたっぷりのホットケーキを一緒に食べたときのような味わいが、私の脳内一杯に広がっていたのである。
でも、すぐに思い直した。俺があんな格好、似合うわけがないじゃないか。第一あんなファッションをしていたら、10年持つカップルも3年しか持たないかもしれないじゃないかと、極めてアントニオ的な発想で邪念を振り払い、再び「ファイト」の世界へと没頭して行ったのである。
でも、すぐに思い直した。俺があんな格好、似合うわけがないじゃないか。第一あんなファッションをしていたら、10年持つカップルも3年しか持たないかもしれないじゃないかと、極めてアントニオ的な発想で邪念を振り払い、再び「ファイト」の世界へと没頭して行ったのである。
そこではブルーザー・ブロディがチェーンを振り回し、藤波が長州に「掟破りの逆サソリ」を仕掛け、そして猪木が延髄斬りで、相手レスラーをマットに沈めていた。
mixi
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