シアトル・マリナーズは1977年、いわゆるエクスパンションチーム(拡張球団)として誕生した。
当時のメジャーリーグ...いや「大リーグ」では、ビッグレッドマシンの異名を取ったシンシナティ・レッズやロサンゼルス・ドジャース、またはニューヨーク・ヤンキースと言った古豪が息を吹き返し、ワールドシリーズで対戦していた時代であった。
またこの頃から日本でも、フジテレビが大リーグ中継を開始。毎週日曜日のお昼は、野球の本場アメリカから届く、エキサイティングなプレーを見るのが楽しみになっていた。
ピート・ローズ、レジー・ジャクソン、ジョージ・ブレット(当時はよく『ブレッド』と書いていた)トム・シーバー、そしてノーラン・ライアン...個性豊かな大リーガー達の共演は、まだ子供であった私にアメリカ野球の魅力と、雰囲気と、そしてホットドッグの匂いを(想像の中で)教えてくれたのである。
またこの頃から日本でも、フジテレビが大リーグ中継を開始。毎週日曜日のお昼は、野球の本場アメリカから届く、エキサイティングなプレーを見るのが楽しみになっていた。
ピート・ローズ、レジー・ジャクソン、ジョージ・ブレット(当時はよく『ブレッド』と書いていた)トム・シーバー、そしてノーラン・ライアン...個性豊かな大リーガー達の共演は、まだ子供であった私にアメリカ野球の魅力と、雰囲気と、そしてホットドッグの匂いを(想像の中で)教えてくれたのである。
だいたい、レジー・ジャクソンみたいな風貌の男は日本のプロ野球には決して存在していなかった。あえて言うなら松鶴家千とせだが、彼は野球選手ではなかった。ヤンキースではジャクソンよりも、グレイグ・ネトルズというサードが私の好みだった。彼の弟のジムは、南海ホークスでプレーした事もある。
野球に関することならなんでも記憶したかった当時の私は、当然大リーグの球団やスター選手の背番号などを覚えることに熱中した。その中で目に付いたのが、シアトル・マリナーズという球団である。「マリナーズはまだ出来立ての、大リーグでもっとも新しい球団のひとつ」「本拠地のキングドームは屋根付き球場」というのが、私の興味を大いにそそった。ドーム球場は憧れだったし、新しいチームというのが良い。出来立てで弱そうだけど、これから強くなるかもしれない。よし!俺はマリナースを応援しよう。そう決めた。
割合に簡単な理由で、私はマリナーズを応援することに決めた。といっても、当時のマリナーズにはスーパースターはいなかった。後に阪神タイガースでプレーする、ルパート・ジョーンズが主力選手として活躍していたはずだけれど、当時はもちろん、そんな事は知る由も無かった。それに弱いチームだから、そもそもマリナーズの試合を見る機会は日本で殆ど無かった、といっても良いだろう。
野球に関することならなんでも記憶したかった当時の私は、当然大リーグの球団やスター選手の背番号などを覚えることに熱中した。その中で目に付いたのが、シアトル・マリナーズという球団である。「マリナーズはまだ出来立ての、大リーグでもっとも新しい球団のひとつ」「本拠地のキングドームは屋根付き球場」というのが、私の興味を大いにそそった。ドーム球場は憧れだったし、新しいチームというのが良い。出来立てで弱そうだけど、これから強くなるかもしれない。よし!俺はマリナースを応援しよう。そう決めた。
割合に簡単な理由で、私はマリナーズを応援することに決めた。といっても、当時のマリナーズにはスーパースターはいなかった。後に阪神タイガースでプレーする、ルパート・ジョーンズが主力選手として活躍していたはずだけれど、当時はもちろん、そんな事は知る由も無かった。それに弱いチームだから、そもそもマリナーズの試合を見る機会は日本で殆ど無かった、といっても良いだろう。
私が見落としていたのかもしれないが、少なくとも当時、マリナーズという球団の存在自体、日本ではマイナーも良いところだった。今のように、海外スポーツの情報がそこかしこに転がっている時代ではもちろん無く、乏しいテレビ中継と雑誌、スポーツ新聞などのメディアから、その戦いぶりを想像するのが関の山だった。だからなにか特別に、ファンとしての行動を起こすということは無かった。
それに何時しか大リーグへの興味は薄れがちになり、当時もう一つの人気スポーツになりかけていたアメリカン・フッボトール...いわゆる「アメラグ」へと私の関心は移った。それでマリナーズの事も、すっかり関心を失うようになっていった。
それに何時しか大リーグへの興味は薄れがちになり、当時もう一つの人気スポーツになりかけていたアメリカン・フッボトール...いわゆる「アメラグ」へと私の関心は移った。それでマリナーズの事も、すっかり関心を失うようになっていった。
私がマリナーズに対する興味を、再び覚えるようになったのはずっと後、ケン・グリフィーJr.が登場した頃だから、80年代の末か。当時はラフィーバーが監督を務めていたが、なにしろその頃になっても、球団が出来てから一度も勝ち越したことが無かったという、呆れるほどに弱い球団だった。
でも90年代に入ってからは、ジュニアやティノ・マルティネス、エドガー・マルティネスにランディ・ジョンソン、そして若き日のA-Rodなど多くの人材が育ち、マリナーズは強豪への地位をだんだんと駆け上がっていく。また佐々木主浩やイチロー、そして城島などが在籍し、日本人にもなじみの深い球団になった。
でも90年代に入ってからは、ジュニアやティノ・マルティネス、エドガー・マルティネスにランディ・ジョンソン、そして若き日のA-Rodなど多くの人材が育ち、マリナーズは強豪への地位をだんだんと駆け上がっていく。また佐々木主浩やイチロー、そして城島などが在籍し、日本人にもなじみの深い球団になった。
でも、私が初めてシアトルを訪れたのは2000年の事。キングドームは既に無く、真新しいセーフコ・フィールドが完成していた。そして私自身、特別にマリナーズへの思いを掻き立てるようなことはもう、なかった。
この年の秋、マリナーズはリーグ優勝決定シリーズまで駒を進めるも、ヤンキースに2勝4敗で敗れ、初のリーグ優勝を逸してしまう。翌年にはイチローを擁してシーズン116勝の快進撃を見せたが、やはりリーグ制覇の美酒に酔うことは無く終わっている。
この年の秋、マリナーズはリーグ優勝決定シリーズまで駒を進めるも、ヤンキースに2勝4敗で敗れ、初のリーグ優勝を逸してしまう。翌年にはイチローを擁してシーズン116勝の快進撃を見せたが、やはりリーグ制覇の美酒に酔うことは無く終わっている。
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