2013年8月28日水曜日

【覚書】中村歌六

亡くなった中村勘三郎の父親は、先代の中村勘三郎。
名優でしたが、この人のまた親父は中村歌六と言って上方の役者でした。
明治に入って上京し、大いに売り出す…はずでしたが、市川団十郎や尾上菊五郎とケンカしてしまった。
「団菊」と喧嘩したら、もう未来はありません。不遇な俳優人生を送ったらしいです。

ただその息子が初代の中村吉右衛門、この人がまた名優でした。さらに歌六が妾に産ませた子が、のちの勘三郎なんですよね。
歌六が死んだ後に、そのお妾さんは「白梅」という寄席の席亭(オーナー)の女になったそうですが、その縁で幼いころの勘三郎は、寄席で毎日のように落語を観て育った。
これが芸の足しになったという…

歌六、そして先代の勘三郎については、興味深いので今後も追いかけていきたいと思います。


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