2006年10月11日水曜日

史上最高のアスリートは誰か(1)

ヤンキースの三塁手、アレックス・ロドリゲスは今年もポストシーズンで期待された成績を挙げることが出来ず、チームをワールドシリーズ制覇へ導くことが出来なかった。ファンからの激しいブーイングに晒され、悩んでいる姿に、マリナーズ時代の颯爽たる若武者ぶりをダブらせることは難しい。彼が若き首位打者として来日したのは、いまからちょうど10年前の日米野球でのことだった。

ヤンキースのサードは、すっかり鬼門となりつつある。このチームが3連覇(1998~2000年)を達成した頃、誰がホットコーナーを守っていたかご記憶であろうか。答えは、スコット・ブローシャスである。1998年のワールドシリーズで活躍し、最優秀選手に輝いた選手だ。ダイヤモンドバックスと対戦した2001年Wシリーズでのプレーも、強く印象に残る人が多いだろう。

http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Scott_Brosius_1966

それでもブローシャスと、エーロドを野球選手として比べるのはやや愚問に近く、また彼らだけに勝敗の理由を求めるのは誤りだ。だが、個人成績自体ははるかに劣るブローシャスのいた時代の方が、現在のヤンキースよりもポストシーズンでずっと強かったというのは、野球というチームスポーツを考える上で、なかなか面白いトピックになるのではないだろうか。

さて、ロドリゲスが入る前の2003年シーズン、サードは最初ロビン・ベンチュラらが守り、後半はアーロン・ブーンが守っていた。ブーンはリーグ優勝を決めるサヨナラ本塁打を打ったことで長く記憶に残る選手となったが、オフにケガしたことで翌年のプレーが絶望的になり、チームはアルフォンソ・ソリアーノを放出してまでロドリゲスを獲得した。この時から、ヤンキースとエーロドの不幸が始まる。

だが、ちょっと待って欲しい。本来ヤンキースのサードは、別の選手が守るはずになっていた。それはミシガン大学でフットボールのクォーターバック(QB)として活躍していた、ドリュー・ヘンソンである。
後にペイトリオッツのQBとしてスーパーボウルを制覇したトム・ブレイディと、名門ミシガン大のエースの座を争ったヘンソンは、秋は大学でフットボールをプレーしながら、夏はヤンキース傘下のマイナーでプレーしていた。この時点では、彼が卒業後メジャーに進むのかか、あるいはNFLへ行くかはまだ分からなかった。もし野球を選択した場合、ジーター&ヘンソンという超大型の三遊間を結成することは、ニューヨークのファンにとっては大きな楽しみとなっていたのだ。

いったんはレッズに放出されたヘンソンだが、再びヤンキースへと買い戻されて野球に専念、マイナーリーグでのプレーを続ける。しかし粗い打撃はなかなか修正することが出来ず、目立ったような進歩を見せることは出来なかった。メジャーでも、2002・03年とほんの少しだけプレーしたが、通算で1安打しか記録することが出来ず。結局、ヘンソンは伸び悩んだ野球の道を諦めて、フットボールへの進路変更を発表した。2004年のことである。

紆余曲折を経てダラス・カウボーイズに入団したヘンソンだが、彼はここでも思ったような成績を残せず、NFL欧州リーグでプレーした後、今年のシーズン開幕前に結局解雇されてしまう。最近、ミネソタ・ヴァイキングスと契約したが、スター選手への道は遠そうだ。野球とフットボールの兼業選手として、高校、大学とあれだけ輝いていたヘンソンが、そのどちらのスポーツでも苦しんでいるのを見るのは全く予想できなかったし、なんとも残念なことだ。

今季のア・リーグ首位打者を獲得したツインズのジョー・マウアーは、高校時代はやはり国内屈指の優秀なQBだったが、有力大学の誘いを蹴ってプロ野球の世界に進み、若くしてメジャーでの成功を収めた。
またスタンフォード大学時代には、やはりヤンキースのマイナーでもプレーしたジョン・エルウェイは、逆にプロフットボールの道へ進んでデンバー・ブロンコスに入団。スーパーボウルを2度制覇する、リーグ屈指の選手として現役を引退している。彼らのような兼業選手にとっては、自分にとってベストのスポーツを選択することがどれだけ大切であり、そしていかに難しいか、ということであろう。


(続く)
 
2006年10月11日06:13


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