2006年8月3日木曜日

篠竹幹夫さん死去

日大フェニックスの監督として、日本のアメリカン・フットボールの歴史に大きな足跡を残した篠竹幹夫さんが、先月の10日に死去されていたことがわかりました。

最近はすっかり低迷したようですが、篠竹監督時代のフェニックスは、そりゃもう大学のチームとはとても思えないような強豪チームでした。その攻撃戦術の代名詞は、なんと言っても「ショットガン」。
日大vs関学、あるいは日大vs京大の甲子園ボウルにおける宿命の対決は、まさに日本のアメフト史に残る名勝負の数々ですね。
ああいう試合を生で見て、フットボールの魅力に触れたファンも当時は多かったと思います。
その黄金期はあまりに強すぎて憎たらしい感じもしましたけど、氏のフットボールに対する情熱と理論は、やっぱりピカイチでした。
強面な印象が強い人でしたが、しかし教え子である内田さんのコメントを見ると、シーズン中は怒らなかったんですね。ちょっと意外でした。

アメリカのカレッジフットボールにも多くの名将がいますが、日本人にあった戦法を常に模索していたという意味でも、篠竹さんは本場の一流どころにも決して負けないだけの優れた指導者だったと思います。
 
たとえばラグビーでも明治の「重戦車フォワード」それに対抗する早稲田の揺さぶり攻撃みたいに、当時の大学スポーツは非常に特色豊かで面白かったですね。
甲子園ボウルが名前の通り関西での開催で、アメフト熱が伝統的に高く、王者日大に挑み倒す関西勢、て図式がまた良かったと思います。
前に「シーズンチケット」で書いたんですが、京大がショットガンを徹底的に研究しそれを打ち破るのは、日本のフットボール史上に残る名場面でしょうね。

あとフェニックスを題材にした映画があったんですけど、菅原文太が篠竹さんの役を演じたんじゃなかったカナ。
 
合掌。
 
 
2006年08月03日10:17

mixi
 

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